吉野先生を深堀り~その①

吉野先生を深堀り~その①

吉野邦昭さんが、京都市出身の1965年生まれということは別ページで紹介しました。

ここでは吉野さんという人物を、もっと詳しく掘り下げて書いてみたいと思います。

素敵な先生の事だからこそ、知って頂きたいと思いますので、

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幼少期~受験生時代まで

幼いころは運動が苦手なオタク少年だったとご自身が語っています。

どんなオタクだったかというと、職人であるお父さんと一緒にグライダー・プラモデル・HOゲージと呼ばれた鉄道模型などを作るのが好きだったようですね。

大学も船舶工学科ですし、飛行機も含め乗り物がとにかく大好きでワクワクドキドキする性分だったようです。

中学に入っても放課後に友達と遊ぶことは少なく、年上の人たちと遊ぶのが好きだったそう。

当時の趣味は電子工作やアマチュア無線、マイコンでのプログラム作りというのですから、相当にマニアックな少年だったようですね。(ちなみにマイコンというのはマイクロコンピュータもしくはマイコンピュータの略で、パソコンの昔の呼び方と思っていただければ。実際にはマイクロコントローラという違うものを指す場合もあるようですが)

当時はまだフロッピーディスクも無かった時代だというのですから、相当ですね。私などはフロッピーディスクは、知ってはいるけど使ったことはない世代です…

ちなみに中高時代は趣味が趣味なのもあり理系志望だったようですが、赤点連発で進級が危ういほどだったそうです(笑)

初めての記憶術との出会い

そんな中、吉野さんは人生で初めての記憶術に出会います。それがどんなものだったかというと

「鳴くよウグイス平安京」「イイ国つくろう鎌倉幕府」

そう、誰もが知っている年号の語呂合わせだったのです。

「そんなのが記憶術と呼べるの?」と思うかもしれませんが、物事を覚えるための技術という意味ではれっきとした記憶術ではあるかと思います。

それが使えるか使えないかはまた別の話ですが…そもそも記憶術を学びたいと思うのは、上のような覚え方も覚えられないからだという人が多いのではないでしょうか。

大学受験~使える記憶術との出会い

ご両親は勉強に関して口うるさくはなかったようですが、教育に関しては熱心だったようで、大学受験時代は東大や京大など超一流大学への合格者を多数輩出する塾に通わせてくれたみたいです。

そこで出会った超進学校の友人たち。

彼らが吉野さんの価値観を大きく変えることになります。

特に吉野さんが衝撃だったのは、各科目の勉強をする前に『勉強法を学ぶ』ということでした。

友人に教えられた記憶法が、のちに吉野式記憶術が生まれ、今は更に発展した「吉野式記憶術2.0」となるきっかけとなったのですね。

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